アフガニスタンで銃撃された中村哲医師が診療より水利事業に力を入れた理由。

Author:看護予備校KAZアカデミー

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2019年12月4日、アフガニスタンで活動していた中村哲医師が、武装集団に銃撃され死亡するニュースが日本に流れた。

中村哲医師の経歴

1973年に九州大学医学部を卒業し、6,000km以上離れたアフガニスタンで日本人であるにも関わらず、

長年に渡る数々の功績が認められ、2018年(平成30年)にアフガニスタンの国家勲章を受章した。

アフガニスタンの現状

アフガニスタン紛争は1978年以降、40年が経った今も続いている。

そこでは、全ての生活物資が不足し、日本では当たり前に揃っている

「住居」や「食事」、「衛生的な水」すら満足に供給されていない。

中村哲医師が行った水利事業(その1)

医療と言えば「薬」や「手術」といったものを先に考えてしまうが、

それは、まともな衣食住があり初めて意味をなすものである。

中村哲医師は、アフガンの国民が人間的な生活を実現するために、

「衛生的な水」を確保しようと、約1600本の井戸を復旧、掘削した。

中村哲医師が行った水利事業(その2)

中村哲医師は、次に用水路を建設した。

ジャララバード(アフガニスタン東部の都市である。カーブル川とクナル川に隣接する)で

最初の用水路が完成した。

これにより、クナール川から引いた用水路により、農作物を栽培することが可能となった。

まとめ

中村哲医師の活動の甲斐もあり、村人の病気が減り、赤痢などの感染症が激減した。

しかし、アフガニスタンでは40年以上内戦や紛争が続いており、依然として問題は解消されていない。

今回の痛ましい事件によって、尊い命が失われてしまったが、

日本にいれば安全だから関係ない等と、対岸の火事と考えてはいけない。

不安定な国際情勢の中で生きる日本人も、戦争と命について見つめ直す良い機会ではないだろうか。

それと同時に、遠い異国の紛争地域で、疲弊した現地の国民のために尽力し、

輝かしい功績を残した中村哲医師のことを我々は決して忘れてはいけない。

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